技術士 過去問
令和6年度(2024年)
問29 (基礎科目「環境・エネルギー・技術に関するもの」 問5)
問題文
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問題
技術士試験 令和6年度(2024年) 問29(基礎科目「環境・エネルギー・技術に関するもの」 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
- 一見革命的に見える新技術も、多くは既存の技術をもとにして改良を積み重ねることで達成されたものである。
- 新技術のアイデアには、からくり人形や自動人形などの娯楽製品から転用されたものもある。
- 新技術の開発は、そのほとんどがヨーロッパ各地の大学研究者によって主導され、産学協同の格好の例となっている。
- 新技術の発展により、手工業的な作業場は機械で重装備された大工場に置き換えられていった。
- 新技術は生産効率を高めたが、反面で安い労働力を求める産業資本の成長を促し、工場での長時間労働や児童労働などの社会問題化を招いた。
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この過去問の解説 (2件)
01
産業革命期の技術発展とその社会的影響に関する問題です。
適切です。
例として、自動織機が挙げられます。この技術は、既存の技術である手織り機を改良し、動力源に蒸気機関を利用することで自動化を図ったものです。
適切です。
例えば、自動人形は精密な機械工学技術を有しており、その技術が織機や他の自動装置に影響を与えました。
不適切です。
産業革命における新技術の開発の多くは、企業家や職人、発明家によって主導されました。大学研究者によって主導されたわけではありません。
適切です。
例えば、自動織機や蒸気機関の導入により、工場での大量生産が可能になりました。
適切です。
なお、本選択肢に記載されている問題は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての労働運動や社会改革の一因となりました。
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02
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、人類が初めて「機械を使って大量生産を行う」という新たな生産様式を確立した歴史的転換点でした。
特に繊維産業では、自動織機や紡績機の発明が生産効率を大きく押し上げ、さらに蒸気機関の改良によって動力の利用範囲が飛躍的に拡大しました。こうした技術の進歩は、近代的な工業社会の出発点を築いたといえます。
適切。
蒸気機関の開発を例に挙げると、ジェームズ・ワットが最初に発明したわけではありません。彼は既に存在していたニューコメン型蒸気機関(1712年)を改良し、効率的に動力を利用できる形へと発展させました。つまり、産業革命を支えた革新は、突如現れた新発明ではなく、既存の仕組みを改良する積み重ねの結果といえます。
適切。
18世紀のヨーロッパでは、機械仕掛けの人形「オートマタ」が高い人気を集めていました。これらに使われた歯車やカムの精巧な動きの仕組みは、後に産業用機械の制御技術へ応用されています。精密な時計や玩具を作る技術が、機械工学の発展を促す重要な要素となったのです。
不適切。
当時の技術革新は、大学などの学術機関から生まれたものではありません。むしろ、職人や現場技術者、発明家、企業家といった実務家たちの手によって推進されました。18世紀の大学は主に自然哲学や理論的な研究が中心で、産業界と大学が協力して研究を進める「産学連携」の仕組みはまだ存在していませんでした。そのため、この記述は事実と異なります。
適切。
機械化が進んだことで生産力は急速に向上し、工場制機械工業が成立しました。これにより、それまで主流であった家庭内での手工業(マニュファクチュア)から、大規模な工場生産体制へと移行が進みました。この構造変化が、産業革命の最も顕著な成果のひとつです。
適切。
一方で、技術革新の進展は社会的な問題も引き起こしました。労働環境は悪化し、特に繊維工場では女性や児童が長時間労働を強いられるなど、過酷な労働条件が問題視されました。こうした実態を背景に、後に工場法が制定され、労働者保護の仕組みが整備されていきました。
産業革命期の技術発展は、学者や大学研究ではなく、現場の経験と工夫を重ねた職人・発明家たちによって支えられていました。現在のような「産学協働」の考え方が生まれるのは19世紀後半、工学教育機関が登場してからのことです。
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