技術士 過去問
令和7年度(2025年)
問29 (基礎科目「環境・エネルギー・技術に関するもの」 問5)

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問題

技術士試験 令和7年度(2025年) 問29(基礎科目「環境・エネルギー・技術に関するもの」 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

科学史技術史で著名な人物や出来事に関する次の記述のうち、最も不適切なものはどれか。
  • フリッツ・ハーバーは大気中に存在する窒素をもとにアンモニアを合成する手法を確立したことでノーベル化学賞を受賞した。
  • 朝永振一郎は、1949年に日本最初のノーベル物理学賞を、「核力の理論研究に基づく中間子の存在の予言」により受けた。
  • 明治政府がはじめて公式に参加・出品した万国博覧会は1873年のウィーン万博で、日本庭園をはじめ優れた工芸品は、日本ブームを巻き起こしたといわれる。
  • 日本の特許第1号は、明治18年7月1日東京府堀田瑞松により出願された「堀田式錆止塗料とその塗法」だった。
  • アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、ベルトコンベヤを導入して組立工程を連続流れ作業にすることで、自動車を低コストで大量生産することに成功した。

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この過去問の解説 (3件)

01

この問題では、1949年の湯川秀樹1965年の朝永振一郎を正しく区別できるかがポイントです。

選択肢1. フリッツ・ハーバーは大気中に存在する窒素をもとにアンモニアを合成する手法を確立したことでノーベル化学賞を受賞した。

これは適切です。

ノーベル賞の公式資料では、フリッツ・ハーバーは“for the synthesis of ammonia from its elements”として1918年のノーベル化学賞を受けたとされています。

空気中の窒素を利用してアンモニアを作る方法を確立した人物として理解してよいです。

選択肢2. 朝永振一郎は、1949年に日本最初のノーベル物理学賞を、「核力の理論研究に基づく中間子の存在の予言」により受けた。

これは不適切です。

1949年にその理由でノーベル物理学賞を受けたのは湯川秀樹です。

ノーベル賞の公式資料でも、湯川秀樹が1934年に中間子の存在を予言したことが1949年の受賞理由だと示されています。

朝永振一郎の受賞は1965年で、量子電磁力学の研究によるものです。

選択肢3. 明治政府がはじめて公式に参加・出品した万国博覧会は1873年のウィーン万博で、日本庭園をはじめ優れた工芸品は、日本ブームを巻き起こしたといわれる。

これは適切です。

国立国会図書館の資料では、1873年のウィーン万博は明治政府が初めて公式参加した万国博覧会であり、日本庭園や工芸品の展示がジャポニスムの人気を高めたとされています。

選択肢4. 日本の特許第1号は、明治18年7月1日東京府堀田瑞松により出願された「堀田式錆止塗料とその塗法」だった。

これは適切です。

特許庁の資料では、日本で最初に出願された特許は、明治18年7月1日に堀田瑞松が出願した「堀田式錆止塗料とその塗法」とされています。

選択肢5. アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、ベルトコンベヤを導入して組立工程を連続流れ作業にすることで、自動車を低コストで大量生産することに成功した。

これは適切です。

フォード社の年表では、1913年にフォードがmoving assembly lineを自動車生産に導入し、モデルTの組立時間を大きく短縮したとされています。

これによって大量生産と低コスト化が進みました。

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02

科学史技術史で著名な人物や出来事に関する問題です。

選択肢1. フリッツ・ハーバーは大気中に存在する窒素をもとにアンモニアを合成する手法を確立したことでノーベル化学賞を受賞した。

問題文の内容通りです

 

「ハーバー・ボッシュ法」1918年ノーベル化学賞です。

選択肢2. 朝永振一郎は、1949年に日本最初のノーベル物理学賞を、「核力の理論研究に基づく中間子の存在の予言」により受けた。

 

1949年に「核力の理論研究に基づく中間子の存在の予言」で日本人が初めてノーベル物理学賞を受賞したのは、湯川秀樹博士です。

朝永振一郎博士は、1965年に「量子電磁力学の分野における基礎的研究」で日本人として2人目のノーベル物理学賞を受賞しています。

選択肢3. 明治政府がはじめて公式に参加・出品した万国博覧会は1873年のウィーン万博で、日本庭園をはじめ優れた工芸品は、日本ブームを巻き起こしたといわれる。

問題文の内容通りです

選択肢4. 日本の特許第1号は、明治18年7月1日東京府堀田瑞松により出願された「堀田式錆止塗料とその塗法」だった。

問題文の内容通りです

 

彫刻家・漆工芸家の堀田瑞松は、漆が主成分の船底塗料の実船テストに成功し、1885年(明治18)7月1日に農商務省工務局の専売特許所へ出願し、同年8月14日付で特許を得ました。

選択肢5. アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、ベルトコンベヤを導入して組立工程を連続流れ作業にすることで、自動車を低コストで大量生産することに成功した。

問題文の内容通りです

 

1913年、アメリカのへンリー・フォードは、べルトコンべヤによる組立工程を連続流れ作業とし、低コストの自動車の大量生産に成功しました。

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03

科学史技術史において、著名な人物や出来事が判別できるか見る問題です。特に日本人のノーベル賞受賞者を覚えていることが重要です。

選択肢1. フリッツ・ハーバーは大気中に存在する窒素をもとにアンモニアを合成する手法を確立したことでノーベル化学賞を受賞した。

フリッツ・ハーバーは、ドイツ出身の物理化学者、電気化学者で、空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法で知られており、ノーベル化学賞を受賞しました。

この選択肢は適切です。

 

選択肢2. 朝永振一郎は、1949年に日本最初のノーベル物理学賞を、「核力の理論研究に基づく中間子の存在の予言」により受けた。

朝永振一郎は,湯川秀樹に続いて日本人2番目のノーベル賞として、1965年にノーベル物理学賞を受賞しました。

この選択肢は不適切です。

選択肢3. 明治政府がはじめて公式に参加・出品した万国博覧会は1873年のウィーン万博で、日本庭園をはじめ優れた工芸品は、日本ブームを巻き起こしたといわれる。

1873年にウィーンのドナウ河に沿ったプラーター公園で開催されたウィーン万博は、日本政府がはじめて公式に参加、出品した博覧会であり、敷地内に設けた日本庭園や珍しく優れた工芸品を数多く出品し、日本ブーム(ジャポニスム)を巻き起こしたと言われています。

本選択肢は適切です。

選択肢4. 日本の特許第1号は、明治18年7月1日東京府堀田瑞松により出願された「堀田式錆止塗料とその塗法」だった。

日本の特許制度における「特許第1号」を取得したのは、発明家の堀田瑞松であり、1885年(明治18年)8月14日に、自身が発明した「堀田式錆止塗料」の特許を取得しました。

本選択肢は適切です。

 

選択肢5. アメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、ベルトコンベヤを導入して組立工程を連続流れ作業にすることで、自動車を低コストで大量生産することに成功した。

ヘンリー・フォードは、1913年にベルトコンベア=システムを導入し、車体組み立てへの応用に成功することで、自動車は低コストで短時間に大量生産が可能となりました。

本選択肢は適切です。

 

まとめ

基本的な科学史や技術史、日本人のノーベル賞受賞者は覚えておきましょう。

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